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インタビュー

2019.06.18

インタビュー vol.12① 元BCリーグプロ野球選手 佐藤 健太 さん

アスリートjob インタビュー vol.12
元BCリーグプロ野球選手
佐藤 健太 さんSATOH KENTA

野球を一度離れ、そして、
野球とビジネスのプロになるまでの道

アスリートJob’s EYE!

元BCリーグのプロ野球選手であり、現在株式会社ケンツーにて、自ら志願し立ち上げたスポーツ事業部で活躍されている佐藤さんのアスリートJobインタビュー。
インタビュー後、何より一番感じたのは、とにかく明るい方であること、ポジティブ思考(自己認知したうえで)であること。そして、スポーツで培ったチカラを本当に上手くビジネスに活かしている典型例のような方だということ。
よくスポーツで培った力の一つとして挙げられるのが「コミュニケーション力」だが、この「コミュニケーション力」とは、一方的に話すことや話し上手とはまったく異なるもので、相手の立場を理解し、感動させ、その人を動かす力のことを指す。佐藤さんは見事にそれを持っていて、活用している。
佐藤さん自身は、ビジネスパーソンとしてのキャリアはまだ短いが、既に次のようなことを成し遂げている。
・結果を出してから「WANT」をやる(主張する)。
・大企業・ブランド企業志向ではなく、「満足志向」で会社や仕事を選ぶ。
・できないことはできないと認め、できるために回りを巻き込む。
・人を巻き込むことや感動させることが上手で、リアルマーケティングを実践している。
これらは、ビジネスパーソンやリーダーとして、そして経営者としてもとても大きなヒントであり、アスリートに限らず、キャリア形成としても極めて大きなヒントであろう。なぜなら、ほとんどのビジネスパーソンがこの反対だからである。佐藤さんはスポーツのプロであったと同時に、今はビジネスのプロ、一流のビジネスパーソンとして活躍している。それはなぜできたのか?多くのヒントがあるので、是非参考にしてください。

■スポーツで培ったチカラをビジネスに活かし、学んだ職業人1年間
私は1988年生まれで、野球界では田中将大選手、斎藤祐樹選手、前田健太選手、坂本勇人選手、柳田悠岐選手、スポーツ界では卓球の福原愛選手、体操の内村航平選手、サッカーの香川真司選手らと同級生にあたります。
出身は北海道ですが、生まれてすぐ東京に移り住みました。野球を始めたのは小学校1年の頃で、高校は日大三高に進学。1年、2年と甲子園に出場しましたが、先輩に連れて行ってもらったような感じで、3年の時は、「ハンカチ王子」こと斎藤選手に東京都の決勝で延長の末、サヨナラ負けをしてしまいました。なので最後の夏は甲子園には出場は出来ず、先輩に連れていってもらった甲子園に後輩を連れていけなかったという世代です。 当時、試合には出して頂いてましたが、全然打てない3番打者。私のせいで負けてしまったようなもので、今でも同期と当時のことを話していると、甲子園に行きたかったという気持ちが溢れ出してきます。
その後、入学した立正大学は東都大学リーグの2部に加盟していましたが、入学してすぐ1部に昇格。在学中はほぼ1部でプレーさせて頂きました。3年の秋には、創部初の日本一も経験させて頂きました。この時も先輩たちに連れて行ってもらったという感じです。 立正大学が日本一になったのは、この時と昨年2018年秋の2回です。

大学卒業後は社会人野球をすることになっていて、ある企業に内定が決まっていたのですが、その企業の内定が会社の事情で取り消しになってしまい、戸田中央医科グループさんにお世話になることになりました。
戸田中央医科グループさんとの縁は、日大三高の監督の繋がりや大学との繋がりもあったということで、入社させていただくことになったのです。
最初に決まっていた内定が取り消しになった時点で、今ここでどうこう言っても駄目だろうと思っていました。だから、一旦野球を離れてから、もう一度野球をやろうと思ったのです。病院での1年間はずっと仕事ばかりしていました。走り込みはしていましたが、野球は一切していませんでした。草野球をするとか、クラブチームに所属するとかの方法もあるのかもしれませんが、僕は器用な方ではないので。仕事も野球もとなると、罪悪感を持ってしまいそうで。だったら、仕事を辞めてから野球をやろうと思ったのです。その時も野球自体はやりたい気持ちはあったのですが、内定が取り消しになった時点で、「ああ、今は野球をやる時期じゃないんだ」と感じました。当時の私のような境遇の周りの方は、確かに草野球をしたりしていましたね。私の場合、野球は好きですが、今も野球をやりたいと思いません。未練とかは全くないですね。
入社後の新卒1年目は毎日覚えることがいっぱいありました。それまで野球ばかりしていて、野球以外のことは全くしてこなかったので、私にとってはむしろそれが新鮮で、楽しかったです。この仕事、すごいなあと思いました。野球も同時にやっている人は、野球の方がベースになっている方が多かったように思います。私は仕事に熱中していたので、熱中すると、仕事ってすごくおもしろいなと思いました。
一番勉強になったのが、野球の世界での「当たり前」が世間では違うと知ることですね。
たとえば、一番分かりやすい例だと「あざますっ」というのを、病院では「ありがとうございます」。これが普通だということを日常の中で知るわけです。そして、きっちり1年間勤務しました。今でもお世話になった院長先生のところにも時折伺いますし、職員の皆さんとも仲良くしてもらっています。

■一度離れた野球・・・いよいよプロへのチャレンジ
 ~強みを活かして勝ち取ったプロアスリート人生~
勤務している間は、実際に野球はしていなかったのですが、野球をやる方法については探していました。病院に勤務して1年後に退社するつもりだったので、どこで野球をやるのかと具体的に考え始めたのは秋ぐらいでした。クラブチームとかいろいろ考えて、でも社会人になって1年経っているので、私が最短でプロ野球でトップまで上り詰めるにはと考えた時、選択肢として浮かんだのがBCリーグ(ベースボール・チャレンジリーグ)でした。ホームページを見ると、知り合いの選手もいました。その時に、もう一度野球をやるために知り合いを頼るという選択肢もありましたが、それでは自分の実力を測れないとも思いました。よく見ると、2月にトライアウトがあり、申込み受付中と出ていたので、すぐ申込みました。誰にも言わず、一般の人と同じように、トライしてみようと考えたのです。そして、BCリーグの2月のトライアウトに参加しました。トライアウトの日まで通常通り病院に勤務していました。そして、トライアウトの日ほぼ1年ぶりにバッターボックスに立ちました。大学4年の時以来のことでした。そしてトライアウトの結果は、落ちました。
1年間野球やってなかったせいで、ピッチャーの球が凄く速く感じられて。どうやって打つんだろうと思ったりして。トライアウトのピッチャーは、ジャイアンツやカープのユニホームなんかを着ていて、球が速いんですよ。レベルが違うのか、自分自身が1年間で下手になったのか分からなかったです。全く通用する気がしなくて。その時、これじゃ追いつかないと。ここから野球選手になるって無理だなとトライアウトの時に感じたのです。今からじゃ、この選手たちに技術では追いつけないと。同時に、もしトライアウトに合格して、BCリーグに入れたら、めざす路線を変えたようと考えたのです。実力どうこうというより、キャラクターが立った選手になろうと。攻守交替の時、見たことないぐらい全速力で走っていくとか、球場全体に聞こえる声の大きい選手とか。プロで言えば、新庄さん(元阪神、日本ハム)とか、元木さん(元巨人)のような立ち位置にたてたら、もしかすると生き残れるかもしれないと。もし受かったらそういう選手になろうとひそかに思っていました。でも落ちてしまい、途方に暮れていたら、BCリーグを設立された村山哲二代表が観に来られていて、「お前おもしろいな」と声を掛けてもらいました。「この経歴何なんだ。お前、1年野球やっていなかったのか」と言われたのです。「大学4年の秋以来打席に立っていなくて、今日は球が速いなあと思いました」と言ったら、「お前、バカだな。でもおもしろいから、名刺やるよ。何かあったら連絡してこい」と言っていただいたのです。確かこの人リーグのトップだよなと思って、その10分後に電話して「トライアウト落ちたんですが、BCリーグに入りたいんですが」と言ったのです。村山さんに「お前また変なこと言ってきたな。でもわかった」ということで、「練習生制度があるから、お前石川行ってみるか」と言われたのです。病院にも辞めると言ってトライアウトに来ましたので、「病院辞めて、BCリーグにいきます」と言いました。それで2012年4月まで病院に勤務して、5月に引っ越して、一人BCリーグ石川ミリオンスターズに向かいました。5月から練習生です。練習生は給料がないのですが、病院勤務で貯金していたので、なんとかいけるだろうと。毎日ご飯だけ炊いて、おかずはシーチキン。炊飯器から直接ご飯を食べたりしていました。シーズン中ずっと練習生という可能性もあるので、さすがに金銭的に厳しいだろうと思っていたので。それでも練習生の時に、アルバイトをしようとかは思わなかったですね。片手間でアルバイトすると中途半端になるので。その分野球に全力を注げば誰かわかってくれる、その思いだけでやっていました。そして、石川に行って2カ月半後の7月、契約を勝ち取りました。
今は亡くなられてしまいましたが、当時の森慎二監督に呼ばれて、「契約だな」と言われました。それで7月に契約、そのシーズンは9月迄の2カ月出場しました。この時は本当にうれしかったです。試合に出られる。プロへの道をようやくスタートできるという気持ちでした。トライアウトの時から気持ちとしては、実力じゃないところでと思っていましたから、どちらかというとようやく面白いことができるという思いでした。球場で自分のキャラクターを出せるというのが、楽しみでしかたなかったですね。
■厳しいプロの道での戦い方と覚悟
最初のシーズンはセカンドで、次のシーズンは地元石川県の高校出身のセカンドを守る選手が入ってきて、森監督にファーストの選手が誰もいなかったので、「ファーストをやってくれないか」と言われたのですが、私はファーストでプロは無理だと思ったので、森監督にそう言ったのですが、開幕してみると「3番ファースト」でした。でも私はそのまま普通のグローブでセカンドのつもりでファーストを守っていたんです。森監督や球場に来ている方々は、「あいつは何をしてるんだ」と思っていたかもしれませんが。前期はファーストを守っていたのですが、森監督には「後期からはセカンドに戻してください」と話をしていました。それでも「ファースト」と言うことだったので、「移籍させてください」と伝えました。後期から僕は福井ミラクルエレファンツに移籍したのです。
BCリーグで自ら移籍したいって当時はあんまりなかったと思います。クビになって移籍する人はいるでしょうが、自分から移籍したいと申し出る人はいなかったと思います。私はプロになる為の期間だと思っていたので、移籍に関しては躊躇はなかったです。BCリーグで優勝を経験した時も、私が結果を出しているというより、どちらかというとチームのムードメーカーという感じでした。特に自分のお陰で勝ったというのが一切ないんですよ。あまり打ってないすですし。盛り上げ役としてチームの雰囲気を良くしたかな?そこぐらいですね。

そして、次のシーズンは、福井でまるまる1年、最後に巨人軍のトライアウトを受けました。巨人のトライアウトを受けて、ダメだったら引退しようと。BCリーグでプレーは最長3年間というのは最初から決めていました。26歳までプロに行けなかったら、いくらキャラでアピールするといっても田中将大選手ら野球界を代表している選手には色々な面で追い付けない。ゴールから逆算すると26歳で限界と思っていました。巨人のトライアウトも最終まで残して頂きましたが、結果落ちてしまいました。

■満足した野球人生から、また強みを活かして掴んだセカンドキャリア
 ~母から授かった天性の明るさがキャリアの光を灯す~
2014年シーズンで引退しました。一番最後の試合は、村山代表に「行ってこい」と言ってもらって、中日ドラゴンズVS BCリーグ選抜の試合が11月にあり、そこでした。ここでも印象深いことがありましたが、割愛します。いずれにしても、野球人生としては大満足です。大学時代であのまま野球を辞めていたらどうだったろうと思うと、BCリーグで3年間十分にやり切った感がありました。そこからセカンドキャリアを考えた時、大好きなスポーツと、ビジネスを融合させたいと思いました。その時に頭に浮かんだのが、大学の時に想い浮かんだ「スポーツ×芸能」という部分でした。私の母はピエロと占いが職業でした。大道芸人です。私が生まれる前からピエロと占いだけで食べてきた人なんです。
占い師の母からは、一度も私の人生の道標の話とか、そういうこと言われたことないです。唯一言われたのは、人生の転機となる年はここという事ぐらいです。母は大道芸人としていろんなイベントで各地を飛び回っていたので、私が小さい頃は週1回か2回ぐらいしか家に帰って来なかったです。親のしつけがどうこうという以前に家にいない。母が家に帰ってきて、朝目が覚めると机の上にお金が置いてあるんです。「ああ、また行っちゃった」と思うのが普通の状態でした。だから、小学校の時はずっとクラスメートの家を泊まり歩いていました。次は誰の家に泊まろうかなと。あそこの家は3日ぐらいいけるなとか。
そんな母も、私がビジネスのキャリアで入社したケンツーに入って2年目の時に亡くなりました。何の前触れもなく、ピエロの出演前、控え室で脳出血を起こし、パタっと倒れて、それっきりでした。母がピエロだったことがキャリアのヒントになったのは事実です。
私がやってきたスポーツを通して築いてきた人脈。そして、時折母に連れていってもらった大道芸や芸能。私が将来やりたいことって何だろうと考えた時、この2つを融合させるようなことができないだろうかと考えたのです。幼なじみに歳は全然上ですが元国会議員の杉村太蔵さんがいるのですが、彼の母と私の母は北海道からの親友でした。それで、太蔵さんに連絡してみたんです。今後のキャリアについてアドバイスを貰おうと電話で話しました。そのほかにもいろんな人に話を聞きました。やりたい事はあるけど、そのために何を学べばいいのかを探す為に。
野球はきっぱり止めてゼロからのスタート。やりたいことは決まったので、そのために何をやったらいいのか知りたくて、話を聞きに行ったりしていました。そして、「営業」と「マネジメント」をやらないと、そこにはたどりつけないというのが、私が出した結論でした。そこで、すぐに営業とマネジメントができるところを探し始めました。そして、出会ったのが今の会社ケンツーです。「営業はすぐできる。会社も若く、キャリアアップもすぐできる」と当時の社長が話されていたので。「営業とマネジメントを学んべる」という部分で入社しました。
「営業とマネジメントをやる」と結論付けるまで、いろんな人に電話して、聞きまくりました。あとはセカンドキャリアセミナーにも参加しました。やはり具体的な目標がないと、漠然となってしまって、結局何も学べなかったということになりかねないと思いました。だから、ある程度決めつけでもいいから、営業とマネジメントと決めたんです。本当に正しいのかどうかはわかりませんが、営業することで人に何かを伝えたり、何かモノを提供することができる。そうしたスキルが身に付くのであれば営業は必要だと思ったのです。また、やろうと思っていることは一人ではできないと思っていました。それをいろんな人と一緒にやっていくために、人を管理したり育成したりするマネジメントも必要。この2つを学ばないと、スポーツと芸能をマッチングしたようなビジネスはできないと考えました。

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