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インタビュー

2019.03.27

インタビュー vol.10① 元アメリカンフットボール日本代表 西川岳志さん

アスリートjob インタビュー vol.10
元アメリカンフットボール日本代表
西川 岳志さんNISHIKAWA TAKESHI

元日本代表アスリートの苦悩編

アスリートJob’s EYE!

元アメリカンフットボール日本代表で、現在プルデンシャル生命保険株式会社東京第五支社のライフプランナー(営業社員)として活躍されている西川岳志さんのアスリートJobインタビュー。
アスリートのセカンドキャリアの見事な成功例。西川さんの凄さは、何より「物事に対する考え方」が秀逸なところ。セカンドキャリアを成功させるコツが満載の内容です。自分の強み、自分らしく生きることの大切さやスポーツ選手が身に付けた能力の発揮の仕方のエッセンス満載!企業スポーツ選手に限らず、プロスポーツ選手やビジネスパーソンも必見の内容です。キーワードは「人との繋がり、人との縁の大切さ」、最高のパワーフレーズは「誰にも負けない自分で社会に臨みたい!」、です!今回は「元日本代表アスリートの苦悩編」「成功への道のり編」と2回に分けてお送りします。ぜひ両方ともご覧ください!

Q.元アメリカンフットボール日本代表からセカンドキャリアへ、そのストーリーの始まりは?
中学(法政二中)時代はサッカーをやっていて、ヘディングが得意だが、ドリブルが苦手という生徒でした。キック力もある、体力はあるけど細かいことが苦手。そんな時、小学校の先生から、附属の高校はアメリカンフットボール部が強いからアメリカンフットボールを勧めらました。自分は小さい頃からの悩みがあり、「体は大きいけど、気持ちが弱い。よく言えば、気持ちが優しくて力持ち。」と言われることでした。悪くいえば、人に強く言えない、自信が無い、ということで、それがコンプレックスでした。だから、気持ちを強くしたい!という思いがあったので、物理的に強くなれば気持ちも強くなれると感じて、高校(法政二高)はアメリカンフットボール部に入部し、日本一を目指そうと考えました。
結局、高校入学してアメリカンフットボール部入部後、1年生から試合に出させて頂いておりました。サッカーをやっていたこともあり、ディフェンスライン、パンター、キッカーとして活躍し、高校3年生の時に副キャプテンになり、日本一を目指して、春の関東大会で日大三高に勝ち、優勝しました。しかし、秋の関東大会に出場した時、春の大会で準決勝で勝った中央大学付属高校に今度は決勝戦で負けてしまいました。これはかなり悔しかったです。だから、大学でもアメリカンフットボールをやりたい!という思いが強くなりました。
チームとして日本一になりたいと思うのはもちろん、個人としても、日本一になりたい、日本代表になりたいという思いがずっとありました。それらが、ストーリーの始まりです。
Q.いつから日本代表になりたいと意識し始めたのか?
高校3年生の時に「雑誌が選ぶベストイレブン」のようなものに推薦され、大学時代には、大学3年生と4年生の時にタッチダウンという雑誌のベストイレブンに出させて頂きました。このようなベストイレブンに選ばれるのは、一つの目標でもありました。個人としては、大学1年生の時からスタメンで出ていて、大学2年生の時に甲子園ボウルを勝ち抜いて大学日本一になりました。その甲子園ボウルを勝った後、社会人優勝チームと対戦するライスボウルに出場しました。アサヒ飲料チャレンジャーズと対戦し、52対13という大敗をし、今度は、ライスボウルで勝ちたいという気持ちが湧いてきました。
大学日本一にはなったけど、社会人と対戦したことで上には上がいることを痛感し、その次を目指したいという気持ちになりました。社会人チームが圧倒的に強いと思っていた大学3年生の時に、関西の強豪 関西学院大学が社会人チームのアサヒ飲料に勝ち、すごいと思いました。同時に、大学4年の副キャプテンの時には学生日本一レベルではなく、とことん突き詰めて社会人チームに勝てるようなチームを作らないと日本一は取れないと思いました。
しかし、その大学4年生の時の関東大会の準決勝で、「残り3秒」で逆転負けしてしまい、立ち直れないぐらい悔しかったし、どうしていいかわからないぐらいの状況になりました。
だけど、アメリカンフットボールが強い大手ゼネコンに入社が決まって、改めて一生懸命頑張ろうと気持ちを切り替えることができました。
そして社会人1年目でエックスリーグで新人賞を取ることができました。しかし、2年目の夏に左膝前十字靭帯を断裂し、その後2年間を棒に振ったような状況になりました。その2年間は本当にいろいろなことを考える期間でした。
仕事も100%やり、アメリカンフットボールもしっかりできる会社ではありましたが、仕事もなかなかうまくいかない時期も続いていました。自分自身がアメリカンフットボールの選手としてはしっかりできていましたが、社会人としてはまだ未熟だったので、大変苦労し、怒られっぱなしでした。2年目から建設現場にでるようになり、それでも仕事がわからない状況が続いたが、体当たりでやれることはやっていました。そんな中でバランスを取っていたのが、「アメリカンフットボールを頑張ること」でしたが、そのアメリカンフットボールが怪我によりできなくなってしまったので、精神的にもかなり落ち込んでしまいました。その後、手術をして回復し、アメリカンフットボール選手としても復活することができましたが、やはり思うようにはいかない時期が続きました。仕事も100%やらないといけないし、同期の社員にも活躍の場を取られたりと、いろいろ焦りもでてきました。
その時に助けてもらったのが、今の妻でした。精神的にもしんどい時期がありましたが、入院中も片道3時間かかる病院に毎日お見舞いに来てくれて、二人三脚で乗り越えることができました。
Q.前所属の企業では、「仕事100%・スポーツ100%」とお話頂きましたが、就職するときにはどう思われていたか?
例えば、最初から「仕事80%・スポーツ120%」とかでやってしまうと、絶対仕事のほうがいつか負担がくると思っていました。だから、それでは長く続けられないと思っていました。自分としても、将来的には結婚もして家庭も持ちたいと思っていましたので、仕事は後回しにせず、仕事は仕事でしっかりやった上で好きなことをする、と考えていました。
そのスタンスだけは決めていましたので、チームに集中できるようにアメリカンフットボールを100%やらせてくれて、仕事も100%しっかりやろうと思っていました。だから、好きなアメリカンフットボールをやらせてくれて仕事も100%やらせてくれるところを選びたいと思っていました。
Q.この勤務状況を「100%アメリカンフットボールをやっている」と言われる、言い切れている西川さんがすごいと感じています。いろいろな現役競技者の方は、現役を続行するためには「勤務条件の優遇」を求められますが、その点はどうですか?
アメリカンフットボールの特性もあるように思います。アメリカンフットボールは各選手の役割が明確で、各選手がその役割をしかり果たせれば勝てるという考えが自分のなかにありました。だから、社会人の一人として、自分の仕事(役割)を果たせないというのがすごく悔しいと思っていました。だから、そこだけは足を引っ張りたくないと思っていたし、足を引っ張れば引っ張るほど自分に返ってくると思っていたので、仕事は仕事でしっかりやっていたし、アメリカンフットボールはアメリカンフットボールでしっかりやっていました。
ただ正直、社会人1年目から4年目ぐらいはなかなか体現できておらず、すごくもどかしかったです。
アメリカンフットボールでもライスボウルで勝ちたいし、仕事もしっかりしたいともがいていました。
そんな中、ある現場の所長さんと出会い、その悩みを所長さんに相談したところ、「練習は練習で行きなさい、でも、仕事は仕事をしっかりやりなさい。」とアドバイスをいただきました。その方は、結局、(西川さん)自身の横断幕を作るぐらい自分のことを応援してくれました。その方がいなかったら、今の自分は無いと思っています。自分が頑張ったというより、まわりの人に本当に助けられました。
その所長さんと出会ってから自分が少し変わってきたな、と思いましたし、その方との出会いがこのビジネス人生の苦難を大きく支えてくれていたことは間違いないです。
Q.「仕事が楽しくなってきた」と感じるまでの期間とは?
その所長さんと出会い、仕事ができるようになると、徐々に仕事が楽しくなってきました。その「仕事が楽しい」と感じるまで、入社後5年~6年かかりました。その間、会社を辞めたいと思った時もありましたが、その都度妻に支えられてきました。だから後悔しないようにしないといけない、落ちるところまで落ちたので、あとは上がるしかないと思っていました。アメリカンフットボールのヘッドコーチからも、「アメリカンフットボールはブロックとタックルだ。どんな下手な選手でも1万回、1万5千回やれば絶対強くなれる」と言われていました。だから当時も、「ピンチはチャンスだ。絶対にやり切ろう」と思っていました。
Q.アメリカンフットボールで学ばれた「積み重ねの大事さ」をとても感じています。昨今、新社会人でその境遇で5年~6年も持つ方はなかなかいないように思います。大半は途中で諦める、会社を辞めてしまう…そんな環境に耐えられないように思いますが、どう思いますか?
ただ、仕事を覚えていくと仕事って楽しいです。なぜ途中で辞めてしまうのか、、。そもそも「仕事をわかっていないのに、わかろうとする」からダメだと思います。何度も何度もぶつかり、ぶつかり稽古でわかってくるものだと思います。アメリカンフットボールもそうだし、他のスポーツも同じだと思っています。その中で、ちょっとしたキッカケやちょっとした人のアドバイスで上手くなることって、スポーツも仕事もあると思っていて、そのような時にうまく波に乗せてくれた人がいたから、その会社に13年間いることができました。